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会津田島祇園祭の始まりは、鎌倉時代の文治年間(1185年~1189年)にこの地の領主になった長沼宗政が祇園信仰を重んじ、田出宇賀神社で祇園祭の儀 式を執り行ったことと言われており、江戸時代の慶長8年(1603年)に京都八坂神社の祇園祭に準じた祭式を定め現在の会津田島祇園祭に至ります。
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■祗園信仰とは
■田出宇賀神社と熊野神社
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毎年、7月7日から国道121号から田出宇賀神社・熊野神社へのおよそ500メートルの参道には御神燈に灯りがともされます。これは、終戦後に田島町観光協会(現南会津町観光物産協会)が始めたもので、この夜から夜詣りに多くの町の人が訪れるようになります。
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現在お党屋は地区ごとに9つの組があり、1つの組が毎年交代でその年の祇園祭の当番お党屋となり、1月から始まる神事を司ります。お党屋の中で神主となる家をお党屋本と呼び、祇園祭の中心となります。およそ半年続く神事全てが7月23日の七行器行列、神輿渡御に繋がっており、この流れを含めた会津田島祇園祭が昭和56年、「田島祇園祭のおとうや行事」として国の重要無形民俗文化財として指定を受けました。(写真は2012年1月撮影)
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| 1月15日 | お党屋お千度 |
お党屋組が年明け最初に行う行事。雪深い中、お党屋組は紋付羽織・股引の服装で、神酒と供物を田出宇賀神社・熊野神社に供える神事です。神に捧げた供物を口にする事で、神の力を体内に取り入れるとし、御党屋組の人々は8合の大盃で神酒を飲み干します。
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| 6月30日 | 大祓式 |
大祓(おおはらえ)式は一般的に神社で今年半年分の穢れを祓う儀式。開催が迫った祇園祭が無事にとり行われるよう、祇園祭に関わる人々がお祓いを受けます。
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| 7月7日 | 注連張り神事 |
お党屋組の家の玄関や神聖な場所、物に張る注連縄をお党屋組の人々で作り、宮司を招いて神事を行います。お党屋組は注連縄を自分の家に張ることにより、これから祇園祭終了まで心身を清める潔斎の期間に入ります。
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| 代参 | この日よりお党屋組から夕方に二人一組でそれぞれ提灯を持ち、神社にお参りをする代参(だいさん)を行います。 | |
| 7月9日 | 御神酒仕込み |
神への供物の一つが御神酒。祇園祭の御神酒はどぶろく で、地元の蔵元・国権酒造の指示のもとお党屋組が仕込みを行います。国権酒造で蒸した米を、神社の本殿に運び、発酵させます。祇園祭では御神酒を一般客にも振る舞うため大量に作る必要があり、およそ240kgのお米を使い、樽2つ分の御神酒が完成します。
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| 7月20日 | 道具出し |
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| 御神橋架け |
御神橋は、神輿で町内を廻る神様が休憩所となるお党屋本宅に入る際に渡る神聖な橋です。半円形の橋の両端を杉の葉で縁取り、橋の上に砂を敷き詰めます。橋の四方に注連縄で囲み、23日まで誰も渡ることはできません。
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| 7月21日 | 御神酒開き |
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| 神棚つり神事 |
お党屋本に祇園祭時に神がお越しになる神棚を作ります。 神棚には大きな幣束を中央に据え、その左右に神札と神号の書かれた掛軸を掛ける。添え台に は中央に黒塗行器に供えた神酒、左に鯛2尾、右に赤飯をそれぞれ 三宝に供え、床の間のおとし垣には紙縒で作った注連縄、床上には大きな木鉢に山盛りにした白米を供える。この神事により、神を迎える準備がすべて整ったこ とになります。 |
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7月22日 (例祭) |
例祭神事 | |
| 屋台世話人接待 |
(写真提供:茂垣貴子) |
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7月23日 (渡御祭) |
榊木迎え | |
| 七度の使い | 祇園祭で神をお党屋本宅に迎える前に、神社に使いを送るのが七度の使いです。使いには、お党屋組の中から両親がそろった二人の子供が選ばれ、裃の正装で神社に向かい、本殿と手水舎の間を6度参拝します。7度目の参拝は、このあとの七行器行列の先頭に立って行うため、それを合わせて七度の使いとなります。 | |
| 七行器行列 | 行列では、神に降臨してもらう為の供物として7つの行器に御神酒、赤飯、鯖を入れ神社までおよそ100名の行列で神社に向かいます。この行列に加わる数十人の花嫁姿の女性が列を成す光景は「日本一の花嫁行列」と呼ばれ、多くの見物客が訪れます。神社に到着後、行列に参列した全員が本殿に上がり、宮司が神に供物を捧げ、祝詞奏上し供物献上の儀式は終了となります。 |
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| 神輿前神事 |
(写真提供:茂垣貴子) |
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| 御鉢前神事 |
(写真提供:茂垣貴子) |
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7月24日 (太々) |
帰座の神事 | |
| 諸道具引譲り | ||
| 御幣奉鎮の神事 |

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◎お党屋組を陰で支える女性たち
お党屋組で表に出るのは男性陣のみですが、お党屋組の女性たちは、神事の度に行う直会(なおらい)という参加した人々全員で行う食事(直会自体も神事にあたる)の準備や片付け、その他の雑用を一手に引き受けます。七行器行列が行われる時の直会は参加者が100名以上集まるため、その準備に追われ、華やかな行列を見る機会もありません。お党屋に関わる人は皆、「本当に大変なのは女性陣」と口をそろえて言います。 |
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◎昔は当番御党屋になるのは一生に一度の事だった 今は9組あるお党屋組ですが、かつては23組ありました。その当時は当番のお党屋が回ってくるのは23年に一度。神事を司るお党屋組は成人である必要があり、巡りあわせによっては、お党屋組の一員として参加できるのは一生に一度順番が回ってくるかどうかと言われていました。さらに誰でもお党屋組に参加できるわけではなく、お党屋組に選ばれること自体、大変名誉なことでした。現在は地元の高齢化などの問題も出てきたため、お党屋組の代表者が集まって伝統を壊さずに会津田島祇園祭を運営していく道を探っています。 *現在残るお党屋組9組:上町上側、西町下側、西町上側、中町下側、本町下側、東町、本町上側、中町上側、上中町 |
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会津田島祇園祭の開催3日間で、様々な催し物が執り行われます。ここでは、それぞれの行事について詳しく説明します。
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日が落ちる頃には祭りの熱気で大屋台の運行もヒートアップ、隣り合う屋台があわやぶつかるという喧嘩屋台も見どころ。 (写真提供:茂垣貴子) |
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◎大屋台の掛け声
「オーンサーンヤレカケロ」と大屋台に乗る子供たちの掛け声が響き渡ります。
◎大屋台の格納庫
4台の大屋台のうち、本屋台、上屋台、西屋台は普段は屋台格納庫に収められ、毎月第三日曜日には一般公開されています(4 月から10月まで)。ですが、中屋台は昔ながらに、祭り前日の早朝に組み立てられ、祭りの終わりと共に分解されます。わざわざ組み立てたり壊したり手間が かかりますが、「地区の人々が集まり、協力して屋台を組み立てるのも祭りの一部」と中町の人々は言います。
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屋台は時間ごとに芸場とよばれる家の前で停まり、そこで子供歌舞伎が上映されます。
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□上演される演目 ・
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歌舞伎に出演する子供たちは日ごろから練習を重ね、祇園祭が近づく7月上旬、
会津田島祇園祭は大屋台の運行と露店が同じ道路で行われているため、見物客が多くなると身動きが取れなくなってしまいます。しかし、西屋台がある辺りは露店が無い為、移動がスムーズで、カメラでの撮影に適しているといえます。
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祇園信仰の神である牛頭天王・スサノオノミコトに七つの行器(ほかい)に入った供物を献上する儀式。行列に参加する男性は 裃姿、女性のうち未婚者は島田、既婚者は丸髷を結う。未婚女性はおよそ30名が参加し、色とりどりの花嫁衣裳に身を包むことから日本一の花嫁行列とも呼ば れます。
◎昔は嫁さがしの場でもあった花嫁行列 絢爛豪華な衣装に身を包む花嫁たち。七行器行列はかつて未婚男性が花嫁を探す場とも言われていました。現在は以前より花嫁の参加が増え、より豪華になったため、未婚男性よりも、アマチュアカメラマンに注目を集めるようになりました。 |
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神輿の出発に先立って、御支度触れと呼ばれる人々が町内に神輿が来ることを触れてまわる人々がいます。大柄な体格に波に千鳥の裂け羽織、5色の襷がけ、内に女性の反物を着て女帯を前で結び頭は板冠を載せて端にしでを垂れ、紅白の太紐で顎に結わえ、右手に軍配、素足に草鞋履きという奇抜な出で立ち。神社前、御旅所ごとに大仰な身振りで歌舞伎の六方を踏みながら「御神輿の御立ち、お支度なされましょう」と大声をあげます。 |
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保露花は神社で祈祷をあげた有難い花で、神の花とも呼ばれています。南会津の人々は、保露花を頂いたら神棚や床の間に飾り大事にします。昔の人は、体調が悪いときに薬の代わりとして、この花を煎じて飲んでいたという話もあるそうです。保露花を手に入れられるのは1年に一度、祇園祭の神輿渡御の時だけ。その時は御神輿へのお賽銭も忘れずに用意しておいてくださいね。
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太々御神楽は江戸時代に福島県郡山市の安積国造神社より伝承したと言われており、会津田島祇園祭では田出宇賀神社・熊野神社の神楽殿で24日の午後に奉納されます。舞の特徴は、台詞が一切ない終始無言のもので、楽人の演奏する笛や太鼓の音色と拍子で進行します。御神楽では現在、13段の舞があり、最後の「太平楽の舞」では菱餅が撒かれます。
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□奉納される舞 13段
5.(猿舞)・・・猿の面をつけ舞われるお祓いの舞。 12.三穂三崎(取魚舞)・・・事代主命(恵比寿様)が大きな鯛を釣るまでの舞をする。
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会津田島祗園祭で最も注目される行事のひとつ「七行器行列(ななほかいぎょうれつ)」。日本一の花嫁行列を写真に納めようと、全国から数多くのカメラマンが詰めかけることでも有名です。この七行器行列に、おいでよ!南会津のスタッフが参加させていただきました。ここでは、会津田島祗園祭の行事を"内側"から見た様子をお伝えします。
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■七行器行列のおさらい
これを捧持するのは両親の揃っている事が条件で、角樽と魚台は袴・草履着用の青年男子、行器は盛装の婦人が持つこととされています(なるべく未婚者に持たせるようにするそうです)。未婚者は島田髷(まげ)、既婚者は丸髷姿と定められており、この島田髷で華やかな花嫁姿に身を包んだ女性は30名程。総勢100名にもなる行列のなかでひときわ目を引く艶やかさが評判となり、このことから七行器行列が「日本一の花嫁行列」と言われるようになりました。
行器とは、戸外への食物運搬用の木製容器の事。行列の際にはなるべく自分の息がかからないよう高めに捧げ持つように気を配ります。昔は、この行器をはこぶ未婚女性の中からお嫁さんを選ぶ事もあったそうです。 行列の順番は次の通り。 「七度の使い」「稽回(袴着用)」「神馬(口取付添)」「神酒(袴・草履着用)」「行器(女盛装草履着用、これが花嫁行列と呼ばれます)」「魚台(袴・草履着用)」総勢約100名
歴史ある伝統文化に触れる“花嫁体験”に参加しようと県外から参加を希望される方も多く、地元でも”少しでも祗園祭の歴史や文化に触れる機会を”と、地元以外の参加希望者も好意的に受け止めています。
■6月 「着物選びとカツラ合わせ」 さて、ここからが七行器行列の参加レポートです。申込みをして行列への参加が決まったら、6月から花嫁衣装選びとヘアメイク・着付けの準備が始まります。
日本髪のなかで最も一般的な女髷である「島田髷」は、主に未婚女性の髪形とされています。この髪型を見ると現在は結婚式の和装の花嫁を連想しますが、結婚式の「分金高島田」は明治以降に定着したそうで、もともとの「島田髷」は武家の若い女性や遊女の髪形でした。文金とは、八代将軍徳川吉宗の時代に貨幣改鋳があり、その時の小判を文金と呼んでいて、嫁ぐ娘のために母親が髪の中に小判を一枚忍ばせ、そのために高く結い上げられたことが文金と呼ばれる髪型の由来なのだそう。会津田島祗園祭における島田髷の女性は、"結婚する女性"ではなく"未婚女性の盛装(華やかな装い)"を表すようですね。
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■7月23日 AM1:30 着付け開始
まずはメイク。和装のメイクは洋装とは異なり独特の手法があります。このサロンでは現代の要素を取り入れたメイクをしてくれました。白過ぎない肌馴染みの良い色のドーランの上に、さりげないラメ入りのパウダーをはたきます。(これが肌の負担も少なく長丁場でも崩れず保ってくれ、さすがプロの仕事と感動)。つけまつげに赤い口紅を引きカツラを付けると、もうすっかり女優顔です。 そして、怒りを象徴する角を隠すことで、従順でしとやかな妻になるようにという意味合いの「角隠し」を被ります。角隠しを被るとうつむき加減になるせいか、どこか奥ゆかしい表情に見えます。
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■AM3:00 着付け終了
時折、強く打ちつけるように降る雨。明け方の空を見て雨が上がる事を祈ります。番傘をさして記念撮影。早朝の空気がとても清々しく感じました。
■AM6:00 お祓いと出発準備
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■【七度の使い】
■8:50 雨により一時間延期しての出発 行列はお党屋本の国権酒造から田出宇賀神社まで約1km。真夜中からの着付けで寝不足、慣れない着物姿、雨の中の歩行、そして行列を包む独特の熱気。疲れているような、脳は興奮状態のような、不思議な感覚です。行程も半ばを過ぎて田出宇賀神社の大きな赤い鳥居が見えくると、見ている人の数も増えてきます。そして声援も聞こえてきます。雨の中大変だったね、もう少しだよ!頑張って!
鳥居をくぐると、歓迎するように人の数は増えて更なる賑わいを見せてきます。草履を脱いで拝殿に入り、大切に運んできた行器を神前にお供えして、お神酒とお護符のお赤飯を頂きました。宮司さんのお話では、大雨から晴れ間に変わった天気も必然だったのかもしれないとの事。 万事は、偶然ではなく、意味があるようです。雨女の私のせいか、はたまた、神事に仕える間は食べてはいけないお肉を誰かが食べてしまったせいだとか?色々と憶測があるようでしたが、無事に神前にお供え出来てひと安心。
■11:00 神事を終えて再びお党屋本へ 全員での記念撮影を終え、行列の皆さんはここで解散。お党屋本へ戻るべく花嫁姿で歩いていると、「一緒に写真撮ってください」とお声がかかります。小さな女の子を連れたおばあちゃん、「この子も大きくなったらお嫁さんになりたいんだって」とのこと。きっと可愛いお嫁さんになりますよ♪ケバブを露店で売っていた外国人のお兄さん、遠くから”写真撮ってくださいアピール”が。(笑) 近づいていくと「やさしいね。どうもありがとう。」と笑顔。日本ならではの文化を写真におさめる外国人の方も多かったです。
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■嫁入り前の「嫁入り体験」現代の生活では気軽さや個人の自由が尊ばれて、昔から伝わる形式や文化が簡素化・略式化されていき、本来の目的や意味も分からなくなってしまう事も多い日常の中、礼節を守り、地域が一体となって後世に伝えていく祇園祭。その心が田島の人達にしっかりと息づいていることを肌で感じることができました。古くから伝わり大切に守り続けられてきた伝統文化に触れ、昔の人々の知恵に学び身に付けた心は、まさに「良妻賢母」のお嫁さんの鑑のように思います。 それにしても…行き遅れ感が否めない私。何時間経ってもみずみずしく透明感のあるお肌の花嫁さん達の中、にじみ出てくる貫禄が隠しきれなかったので、正面からの写真は掲載できません。“若さばかりはお金で買えないね“という私のため息を不憫に思ったのか、“いやいや、積み重ねた経験と時間だって何物にも代えられないよ”とスタッフに慰め(?)のフォローをしてもらったので、この経験を生かして、本物の花嫁になった時には…「良妻賢母」を目指したいと思います。 |
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会津田島祇園祭は、老いも若きも男も女も、田島に住む人それぞれが様々な立場で関わりを持ち、祭りに力を注ぎます。祇園祭とどう関わり、祇園祭とはどういったものなのか聞いてみました。
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■2013年会津田島祗園祭のお党屋本 細井さん
祇園祭が終わって率直な感想をお聞きすると「(祇園祭が終わって)ほっとしています。雨さえ降らなきゃねぇ」と苦笑い。今年は、ここ数十年は祗園祭当日に降ることが無かった雨に3日間降られ続け、対応に追われたお役目でした。祇園祭については「こんな伝統の残っているお祭りは県内でもなかなか無い。祇園祭か相馬野馬追ぐらいでしょう。これからも残していかなければならない」とおっしゃっていました。
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■本町 大屋台組み立て役 星さん
「田島は7月に入ると祭りの雰囲気になる。私は屋台の運行自体には加わらないんですが、店から屋台の様子や掛け声が聞こえてきて、今年も祗園祭ならではの高揚感と興奮を体感することができました。(祗園祭が終わってしまって)また来年までさみしくなりますね。」 ふだんは自宅で「こまつや珈琲店」を営む星さん、また来年の祗園祭まで、ここでこだわりのコーヒーを静かに提供し続けます。
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■太々御神楽 舞方 有賀さん
「祇園祭は田島の宝物。町の人は祭りが生活のリズムと直接的に結びついている。(田島には)なくてはならないものです」と話してくださいました。
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■お党屋組の裏方を務めた旅館女将と七行器行列に参加した娘さん
今年は当番お党屋組となっており、女将さんは裏方としてお党屋組を支え、娘さんは七行器行列に丸髷で参列しました。行列に参加した娘さんは「七行器行列への参列はこれで3回目。田島っ子が祇園祭に関わることは自然な事です。今年は主人と私、それに息子の三人で七行器行列に参列できたのが本当に嬉しかった。」と笑顔で語ってくれました。母である女将さんは、連日の準備の疲れも見せずにいつものニコニコ笑顔と軽い足取りで奔走する姿が印象的。 和泉屋旅館の軒先には、旅館の看板マスコット?のカエルのぬいぐるみがいて、季節ごとに衣装や小道具を変えてお客様や町行く人の目を楽しませています。祇園祭の日は裃(かみしも)と晴れ着姿の祇園祭バージョン。この裃は息子さんが子供のころに実際に七行器行列に参列したときに着たものだそうです。
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祇園祭で一番注目を集める七行器行列は朝7:30からという事もあり、遠方からの観光客は前日からの宿泊がおススメです。周辺の宿泊施設は一年前から予約の問い合わせがあります。じっくり祇園祭を楽しみたいなら、早めにお宿の問い合わせ・予約を忘れずに。
| ■会津田島祗園祭 周辺宿泊施設情報 | |||
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〇その他、南会津地域の宿泊情報についてはこちらをご覧ください。
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■会津田島祗園祭 アクセス情報はこちら。(公共交通機関・マイカーいずれも「南会津町へ」の項目をご覧ください。)
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