糠谷さん(南会津町振興公社伊南支局員)


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緑のふるさと協力隊から南会津町振興公社伊南支局員として地域振興に取り組む

南会津4町村(下郷町、南会津町、只見町、檜枝岐村)に移住した方々に、移住のきっかけや現在の生活の様子などをインタビューし、動画で公開しています。また、動画ではお伝えしきれなかったお話しをこのブログでご紹介しています。

 

《 移住者データ 》

糠谷さんは、名古屋出身。東京で会社勤めをされていましたが、平成18年(2006年)4月に「緑のふるさと協力隊」として南会津町伊南地域に移住。任期終了後も農業や観光の仕事をするようになり、伊南地域に定住。地元の方と結婚されお子さんにも恵まれています。現在は公益財団法人南会津町振興公社伊南支局に勤められ、地域振興に取り組んでいます。

 

糠谷

■お 名 前 糠谷 直輝(ぬかや なおき)さん
■ど こ に 南会津町伊南
■どこから 東京
■い  つ 2006年
■現在のお仕事 南会津町振興公社伊南支局
■以前のお仕事 会社員
■ご家族 奥様、お子さん

 

 

 

《 移住される前はどんな生活でしたか? 》

東京で会社勤めをしていました。あまり休みも無く仕事ばかりの毎日を過ごしていました。出身は愛知県名古屋市です。

 

《 移住されたきっかけは何ですか? 》

NPO法人地球緑化センターが実施している緑のふるさと協力隊という事業に応募して、1年間、南会津町伊南地域で生活することになり、それがきっかけでこの地に来ました。

 

《 緑のふるさと協力隊に応募したきっかけは? 》

都会での生活が長かったということもあり、伊南のようなところに来たことも住んだこともなかったので、こういうところで生活をしてみたい希望も少しあり事業に応募しました。

 

《 この場所を選んだ理由は? 》

その当時、福島県でこの「緑のふるさと協力隊」事業に力を入れていまして、他にもいくつか派遣先の候補はあったのですが、福島県の南会津地方がどういうところなのか情報がなく全くわからず、いったい何があるのかどんな地域なのか知ってみたいという気持ちから応募しました。

 

《 緑のふるさと協力隊として活動され、どう感想を持ちましたか? 》

1年間の事業の中で、農作業を手伝ったり、山登りやまつりなどの地域イベントに参加しながら生活をしました。その間、地域の皆さんがご飯をごちそうしてくれたり、野菜を持ってきてくれたりと、地域の方々に大変お世話になったという印象が強かったです。

 

《 伊南地域に来て最初の印象は? 》

この地域は山が多く山が近くにあり、すごく自然豊かなところだなという感想を持っています。実際生活してみると空気はきれいだし、水はおいしいし、今までの生活とは全然違いました。

 

《 伊南に定住することを決めたときのご家族の反応は? 》

糠谷特に相談はしなかったのですが、親には話をしました。自分の決めたことだからと、反対などはしなかったですね。

 

《 こちらの暮らしには直ぐになじめましたか? 》

最初は戸惑いもあったのですが、お世話になった農家の方とか、近所の方々、周りの方々が声を掛けてくれたので、だんだんとこの地域のことが分かるようになり、少しずつなじめてきたのかなと思います。

 

《 住まいはどうやって探したのですか? 》

緑のふるさと協力隊事業の中で手配してもらった空き家を借りていました。

 

《 田舎の空き家ですと今までと異なり戸惑ったこともありましたか?》

東京にいるときはワンルームに住んでいました。こちらの家は2階建てで部屋もいっぱいあり、大きな家で、全く違った生活でしたが、なんとかどうにか生活しました。

すきま風もあり、冬は寒かったのですが、それよりも一番びっくりしたのは、台所で昼食の準備をしているといきなり屋根の上から蛇が顔を出してきて、私の顔を睨み付け、その後顔を引っ込めたと思ったら、隣の部屋に落ちるという事件がありました。これにはさすがにびっくりしました。他にも夜中に小さなネズミが台所を駆け巡ったり、いろんな虫があっちこっちに飛び交うような家でした。

 

《 緑のふるさと協力隊としての仕事は? 》

特別仕事が決まっているわけではないのですが、その時は農業法人での米作りや個人農家でトマトや花の栽培を手伝ったり、町や地域のイベント協力などが実際の仕事でした。冬は農作業がないので、最初の頃はスキー場に行っていました。また、「伊南の郷」という農業法人で会津地鶏を飼っていたこともあり、そのときは毎朝卵を拾ったりエサをやったり鶏の世話をしていました。

 

《 緑のふるさと協力隊の任期は1年間ですが、任期を終え定住しようと決めた理由は? 》

大きなきっかけというものはなかったのですが、この地域自体が面白いところだと感じ、もう1年とか2年ここに住んでみてもいいかなという気持ちになり、継続してここで生活することにしました。

 

《 緑の協力隊を終えた後の仕事は? 》

来た当初から世話になっていた農業法人の「伊南の郷」で働くことになりました。住まいについてもそのまま住んでいたところを貸してもらえることになりました。

その後、観光協会の仕事を手伝うことになり、その後組織の名称変更などもあり、現在の南会津町振興公社伊南支局に勤務しています。

 

《 こちらで結婚し、お子さんも儲けられたと伺いましたが、結婚後の生活は? 》

妻の実家が同じ伊南地域の青柳にあるのですが、二世帯住宅で生活しています。

 

《 移住してから大変だったなと思うことは?》

ずっと雪が降らないところで生活していたので、この地区の雪はやはり大変でした。屋根の雪下ろしとか、雪片付けとかはこれまで経験したこともない私には大変苦労しました。雪道での車の運転もいまだに慣れず、いつものろのろ運転で移動しています。

 

《 移住してから心掛けたことは? 》

誰一人知らないという状況でここにやって来ましたので、逆に会う人、出会った人に声を掛けて顔を覚えてもらうようにしたり、誘いがあればどこへでも顔を出したりして、皆さんに知ってもらいながら仲良くしてもらおうと心掛けていました。

 

《 地域の皆さんは親切にしてくれましたか? 》

よそから来た人間として、最初は何者かなと様子を見ているようでしたが、自分から声を掛け続けていたところ、だんだん向こうから声を掛けられるようになって、お茶のみに誘ってくれたり、ご飯をごちそうしてくれたりして接点ができると、少しずつ仲良くなれました。

 

《 移住して良かったと思うのはどんなとき? 》

今となって言えることですが、この地域の一員として少しは認めていただいているのかなと思っています。最初の頃はどうせ直ぐ帰ってしまうのだろう、とか言われていたのですが、今はここで生活して10年以上経ちますが、ここ伊南地域の一住民として接してもらっているなと感じています。

 

《 都会の生活と比べ今の生活をどのように感じていますか? 》

都会とここの生活とは全然違うものとは思いますが、都会でも忙しい生活をしていましたが、この地域でも実際はのんびりとはいかず、違った形で忙しい生活を送っています。時間の流れだとか自然豊富なところなんかは、健康的で人間らしい生活がここの地域にあるような感じがします。

自分にこっちの生活が合っているかもしれませんね。

 

《 移住者にしてほしいケアはありますか? 》

他から来た人にとっては、どうしても困ったことが出てきたり、慣れないことがあったり、トラブルなり、悩みなどもあるので、そういった悩みを抱えた人が気軽に相談できたり、愚痴を言ったり、ストレス発散できる窓口というか話し相手のような存在が必要なのかなと思います。

 

《 これから移住してくる方へのアドバイスをお願いします 》

都会とは違う地域なので、移住される方自身で壁を作らずに、地域の中に飛び込んで、何でも一緒になって苦労したり、一緒になって喜んだり、遊んだりするような生活をしていかないと、なかなか溶け込めないのかなと思います。心の壁は作らないことが必要かもしれません。

 

糠谷さんさん写真
糠谷さんさん写真

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