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2016/03/23 13:39

【はじめよう田舎暮らし】大西さん (南会津町)

 

南会津に定住・二地域居住された方にお話を聞く「はじめよう田舎暮らし」シリーズ

今回は東京都から南会津町に移住された「大西琢也さん」

 

◆プロフィール

 火起師(ひおこし)
ファシリテーター(野外教育、危機管理、チームビルディング、地域活性化)
1975年2月20日和歌山県生まれ、神奈川県育ち。その後東京で暮らす。
2008年から福島県南会津町にIターン移住。
火起師として、火を通して「人と自然、人と人をつなぐ」というヴィジョンを胸に世界8カ国
26地点、国内273地点で錐揉(きりもみ)式火起こしを実践。現在NPO「森の遊学舎」代表として活動中。

◆大西さんの事「見たことある!」という方もいらっしゃるのでは?

・2001年TVチャンピオン「サバイバル野人王選手権」で優勝!!

・2015年11月9日放送「月曜から夜更かし」

 <超マイナーな世界チャンピオンを調査>に出演!

などなど、TVにも出演されることがしばしばある方なんです!

今回、南会津への移住についてやお仕事について等、沢山お話ししていただきました。動画では収まりきらないほどのお話をこちらでご紹介します!


profilephoto

←大西さんのブログ「野人魂」

  詳しいプロフィールが知りたい方はこちらをクリック!

 

 

◆移住は必然だった?大西さんのバックボーン◆

 小学生位の時に「土器のかけら」を拾ったことと、映画「インディージョーンズ」を見たことがきっかけとなり、大学で考古学を専攻しました。国内外の遺跡発掘調査に従事していたところ、日本列島の縄文人は素晴らしい文化を持っていたと知り、それを勉強するだけではなく自分でやってみたいと思ったんです。

 

◆移住のきっかけとなる「森の遊学舎」◆

 群馬県で縄文時代の船「丸木舟」を作るプロジェクトをしていた時に、プロジェクトメンバーと地元の人達との交流が始まり「この素晴らしい森の事を伝えていく団体を作ろう」と「森の遊学舎」が誕生しました。その当時は任意団体でしたが、数年してNPO法人になり、2代目の代表をやらせてもらうことになりました。

 森の遊学舎のコンセプトは「根っこを育む」。人も組織も巨樹のように成長したければ見えない部分「根っこ」を伸ばすしかありません。10年、20年、もっと先を考えるならば、頭の知識を増やすのではなく、自らの体験を通して「心」を育てる必要があります。野外での「生活体験」と「感動体験」を通して子どもたちに「生きる喜び」と大きな「世界観」を伝えていく。「野外教育」、「ワークショップ」による【場づくり】をするの森の遊学舎の役割です。

 

 その「根っこを育む自然学校 森の遊学舎」を継続していく中で、もっと自分の暮らしを見直したいと考えるようになりました。

仕事も暮らしも一緒に連動していく中で生かされていく。もっといい暮らしをして、もっといい仕事をして、その中で森の遊学舎の活動が皆さんに理解され、一緒に作っていけるような場所があったらいいなと思い移住を決めました。

 

 

◆移住先は・・・山!!
 東京では彼女(※現在の奥様)と一緒に暮らしていました。東京生活2年目位に「次どこかへ移住しよう」という話が出ていて、そこで「山か海なら、山がいいね」と意見が一致していたんです。

 

 ◆移住先を南会津にした決め手「自然」「人」「文化」

僕は南会津に移住するまで、約7~8年通っていました。

大学の時にしていたボランティアの事務局に「始めよう田舎暮らしVol.26」でも紹介されている「酒井富美さん」がいたんです。酒井さんが東京から南会津に移住したので、そこに遊びに来るようになりました。

 酒井さんと一緒に、地元のじーちゃんばーちゃんのところに遊びに行った時の事なんですが、その時出してもらった漬物・山菜・キノコ・ごはんや味噌汁まで、出てくるもの出てくるもの全部美味しかったんです。そういう自分たちで作りだすものの「当たり前のレベルが高い」ことに感動しました。僕は大学生の頃から昔の人がやっていることにすごく興味があって、自分でも「やりたいな」と思っていたことの一つが、南会津には既に形になってあったんです。

 日本列島の中で、色々引っ越す場所を探しましたが、この地域は一つの集落だけがすごいのではなく、南会津の「地域」として広い面積で素晴らしいものが残っている。今日本中にこんな場所ほとんどないと思います。その「自然」と「人」と「文化」三拍子揃っている南会津で僕が学びたいもの、そして、僕が学んで子供たちに残していきたい。そのリレーしていく間の人になれればいいなと思い、南会津に移住しようと決めました。

 自然は素晴らしいけれども人は都会的な生活をしているという場所であれば、そこまで魅力は感じなかったと思います。

 

 

◆彼女にも南会津を気に入ってもらうために…

 まず、一度彼女を南会津に連れてこようと思いました。ただ、彼女が兵庫県出身で、雪になじみがないので、いきなり雪の季節は無いかなと。騙そうと思った訳じゃないですよ(笑)。秋の紅葉のいい時期とか、温泉とか、美味しいものとか、そういうものを見てもらいながら「移住先にどうかな?」という話をしたら「じゃ来ようか」と言ってくれたんです。

 

◆不動産屋?役場?ちょっと大変な家さがし

 家を探すのはちょっと大変でした。最初は都会の感覚で、不動産屋さんを探したのですが見つからなかったので、役場に電話しました。まず町営住宅に入って、それから家を探すのもいいかなと思ったんです。

 聞いてみると丁度開いているところがあったので、入居の条件等を確認していったら「2週間後に風呂釜を持って入ってください」と言われ、とてもびっくりしました。都会で風呂釜を持って引っ越すなんてことはないので(笑)。これはちょっと無理だなと、その時点で町営住宅は諦めました。

 そこで、これは人づてに行くしかないと思い、酒井さんや東京から来る時によく利用していた会津高原尾瀬口駅の前にある食堂のおばちゃんに話してみたりしました。


 その食堂のおばちゃんがとても良い人で「会津山村道場の近くに空き家が一軒あるよ」と、今の家の大家さんを紹介してくれました。無事家を見せていただけることになったのですが、実はその前に七ヶ岳に登って家の周りの森を見たんですね。人間が住んでいる場所がすごく小さくて、森が素晴らしいくて、こういうところならいいな、と思いました。その後、家の中を見せていただき、すごく気に入ったので、次の日には貸して頂きたいと大家さんに連絡しました。

 

 

◆引っ越してまずしたことは・・・結婚式!

 2008年の4月に南会津に引っ越しをして、5月に「会津山村道場」で結婚式をしました。それがまたすごく良かった。田島の祇園会館で郷土料理を出している団体(NPO法人はいっと)の方たちにお料理をお願いして地元の郷土料理でもてなしてもらいました。そして昔ながらの校舎が有るのでそこのコテージに泊まってもらって、昔の講堂みたいなところで皆でご飯を食べてという形でした。来てくれた方々はすごく喜んでくれていたし、僕達も楽しかったです。 



 僕の中には「南会津は凄くいい」という確信がありました。

ただ、それを周囲に理解してもらう為にはちょっと時間をかけなければいけないかなと考えていました。

 でも、ここの持っている魅力、地域性、素晴らしさは僕が語るよりも、来てもらうことで自然と伝わっていくんじゃないかなと信じていたので、結婚式はとても良い機会になったんじゃないかと思っています。

 

引っ越してから気づいた寒さ

 引っ越してから分かったことは、想像以上に寒いということですね。もちろん雪国だというのは理解していたのですが、福島県内で一番に近いほど寒い地域だというのは知らなかったです。

 この辺は-20度位まで気温が下がるんです。僕は冬山に登っていたので-20度は経験があるけれど、それが日常の中にあるっていうのは自分が思っていたのとは違いました。-20度位になると、水道や排水溝、お風呂まで凍ってしまうので、それを溶かしたり大変なことはありますけど、それはそれでおもしろいです(笑)。

 

◆寒いからこそ・・・

 

 僕は冬が好きなので、雪のあるところに住みたかったんです。雪があるということは四季がはっきりしている。春夏秋冬はっきりしているということはその季節の良い所が見える。世の中結構ワサワサしていて、成果を出さなきゃとか色々追われるところはあるかも知れないけど、都会にいる頃は自分もそういうところがあったんですね。 こちらに来てからはすごく落ち着きました。

 自然に寄り添うしかない状況ですし、それがまた自分にとっても

持ちがいいんです寒いということが大変なことはあるけれども、それ以上に「そこに残されている宝物」みたいなものが感じられますね。

 

◆移住して苦労したことは?

 うーん・・・と考えても出てこないくらい無いですね(笑)。

ちょっと手間暇かけることが普通なら大変かもしれないけれど、そういうことをしたくて南会津に来たので苦にはならないです。例えば集落の行事とかも楽しいですし。お祭りや草刈りや田んぼの畔を燃やすとか、都会に住んでいたら絶対出来ない事ですしね。そこでじーちゃんばーちゃんと一緒に作業したりすると色々なことを教えてもらえるんです。知らないことをどんどん手間暇かけていく中で知ることが出来るので楽しいです。


 

◆奥さんの本音を知る

 実は、近所の人が僕のいないところで彼女に「こんなところに一緒に来て大変じゃないの?」と聞いたらしいんです。そしたら彼女は考え込んで「強いて言えば朝4時からの除雪車の音かな?車がガタガタと来るとちょっと眠りが・・・」と言っていたらしいんです。ま、それは半分冗談だと思いますけど(笑)。もっと色々不満が出てくると思っていましたが、それなら一緒にいてくれてここでやっていけるな、よかったなと思いました。

 

◆ご近所との付き合い、どのようにしてますか?

 出来るだけ集落の行事は出るようにしています。それがやっぱりこの地域に住んでいる良さで


もありますし、そこで学べること知れることがあるので。消防団にも入っています。自分の出来るこは地域の中でやっていきたいと思うし、周りの人を真似することで教わることがすごく多いです。地域の人たちが先生で先輩。私は引っ越して来てまだ8年目なので8歳だと思っていますから、子どもが教わるような感覚でいるようにしています。なので回覧板を持っていっても、なるべく話をしてくるようにしています。

 他にも、この藤生地域の歳の神での火起しですかね。実は引っ越してくる前にも一度火を起させていただいているんです。丁度引っ越し準備の為にこちらに来ていた時、歳の神を見せていただき、仲間に入れてもらいました。移住してからは毎年僕が火を起させていただいています。

 南会津は歳の神が盛んに行われている地域だと思うので、地域に根付いている火の文化を絶やさないように協力していきたいですね。

 


 

◆南会津に住んで一番変化したことは?

 一番大きいのは、東京に住んでいる頃は「仕事も暮らしも全部外からのもの」だったと思うんです。外からいろんなものを入れる、外に求めていく。でも南会津に住んだら、「自分たちのいる所から始まっていくもの」が多いんです。例えば、食べるものも自分たちで取れる・作れる。お水も、水の水源地はどこかなと自分で行きたければ行ける。働き方も、今は自分の日常と繋がっているので全部わかっている中でいい所に来てもらう。

 自分たちの日常に繋がっているところに来てもらって、楽しんでもらって、それがその来てくれた人たちの日常に繋がっていけばいいなと思っている。

 

 最近作り方を教えてもらって、またたびでかごを作っているんです。材料を自分たちで取ってきて作っています。またたびを割るのに使う割木も人が使っているのを真似して作りました。家で使っている薪ストーブ用の薪が硬い樹なのでそれを使って出来るかなと。

 今は何かが無くても自分たちで生み出せる、そういう「自分たちのもとから出てくる力があるとい

うことを感じながら暮らしていける」というのが大きな安心感じゃないかなと思いますね。

 

 

◆「火起し」との出会い

 21歳の時に初めて火起しをしました。大学に火起しを研究している先生がいたので教わってやってみたら初日に火を起せたんです。それで面白くなり、次の日からも練習してみたのですが、3日間火が着きませんでした。その3日間は手に大きな血豆が出来て、痛くて寝られないくらい練習をしました。もし2日目も3日目も簡単に火を起すことが出来ていたら、たぶん火起しは続けていなかったと思います。どうすれば火を起せるか、昔の人はどうやっていたのだろうと試行錯誤し行った事で魅力に憑りつかれたんだと思います。火というのは昔から生活するのにすごく重要なもの。火で温まったり、きれいだなと思ったり、そういう空間がすごく好きなので、「火を起こす」ということを大事にしたいと思って行っています。

 

◆火起師(ひおこし)と名乗るということ

 最初、 自分を何と名乗るかは決まっていませんでした。「火をおこす人」「火おこし名人」「達人」等、色々な呼び名が出てくるんですがどれもしっく りこなかった。それで「火起師(ひおこし)」に決めたんです。それまでは普通に火を起こしていましたが「火起師」と名乗ることで「火起しを伝えていく」ということに心を向ける覚悟が出来ました。例えば神社での奉納や結婚式など大事な場面では、断食して臨んだり、歴史的な背景をちゃんと調べたり。ある程度どんな状況


例えば雨でも風でも雪や寒い場所でも成功するように練習をしておく。儀式の最中に「火が起きません」なんて言い訳できませんからね。なので「火起師」と名乗る以上、自分の心・体・ 技術・道具、他にも、最終的には火は山から戴いているものなのでお祈りとか、全て含めて「火起し」なんだということを伝えていきたいと思っています。

 

★★大西さん火起しノーカット完全版★★
「火起師」と名乗る以上、自分の心・体・ 技術・道具・お祈り、全て含めて「火起し」なんだということを伝えていきたいと語る

大西さんの、火起しの技をご覧ください。

 

 

◆火起師(ひおこし)としての活動

 火起師の活動としては、聖地や遺跡、結婚式、葬儀、火祭、祈りの集い等、ご縁をいただいた時と場において火を奉納したり、火起しワークショップを国内外で行っています。火を通して「人と自然、人と人をつなぐ」というヴィジョンを胸に活動していて、累計3万人以上の子ども達と出逢いました。
現在は人類史上初の8,000m峰摩擦発火に挑戦しています。人間が火を使うようになってから長い歴史があるのですが、火を起して使用していたのは平地の暮らしやすい所~チベットのような5~6千メートル位のところ。それ以上の場所で、科学的なもの(マッチ・ライター等)を使わずに昔ならがの方法で火を起したというのは、ほぼ無いんです。標高の高いところ、5千メータまで行くと酸素が半分。火の起きにくさとしても、自分の体の状態としても酸素が少ないので難しい。でもそんな場所でも火を起せないだろうか。人間はそういった可能性を追求しながら生きてきたと思うので、人間の可能性を極めたい・確かめたいというか
面白いなと思ったんです。

 

 

◆こめらの森誕生

   

 引っ越して3年目の2008年3月、東日本大震災が起きました。5月に知り合いから「放射線量の高い地域に住んでいて大変だから子どもたちを受け入れてくれないか」と話があったんです。その時は、場所も人手もお金もなくてと無いものを沢山あげて断りました。でも、それがずっと心に引っかかっていて沢山考えました。結局、出来ない理由は沢山あるけど出来る理由を探そうと思ったんです。          

 

ができるまで

     

家の目の前に空き家の古民家(写真①)があったので、この空家を借りたらできるようになるかなと。空き家にはゴミも沢山あって(写真②)、トラックで何回も捨てに行きました(写真③)。床板も抜けるような状態でしたので(写真④)畳を全部剥がして、床板の修理もしました(写真⑤)。


地元の人たちに協力してもらいながら(写真⑥)夜も作業して1か月半で、子どもたちが夏休みに来れるように直しました。その直していく過程では地元の人たち、それまで出会ってきた人たちや、新たにそこで出会った人たちに助けられ、人と人とのつながりで「こめらの森」は出来上がったんだな

とおもうし、人のつなりの中でかされてきたんだなと感じられた出来事でした。丁度震災の2日前から気仙沼に行っていて、南会津に戻った翌日震災が起きたので、自分たちが生きている意味とか自分が生かされていることとかすごくリアルで、本当に自分は紙一重の中で生かされてるんだ



なと。そう思うと、今南会津に自分が住んでいて子どもたちの為に出来ることがあるならやりたいなと思ったんです。周りのことや先の事を考えていなかったかもしれないけど、良しと思ったことはやるようにしているので、こめらの森を作らせていただいて、あっという間に5年が経った気がします。

 

 ◆まだ完成途中のこめらの森をご紹介◆

 

◆こめらの森を支えるのは世界中からの支援◆

こめらの森は、国内だけでなくアメリカ、ハワイ、イギリス、ザンビア、台湾などから世界中から

支援され活動しているそうです。

  


 

◆こめらの森の活動の様子◆

 

★★★森の遊学舎/こめらの森について詳しく知りたい方はこちらのバナーからどうぞ★★★

 

<<森の遊学舎 入口>>

 

<<こめらの森 入口>>

 

 

 移住してみて一度大変だなと思うと、どんどん大変だと思ってしまうけど、それをどうやって楽しむかが重要。そうしたら毎日楽しいんではないかと思います。

 他には自分の興味のあること、好きだなと思うことや、よしやろうと思ったことはどこまで行っても力が出ることなのでどんどん深めて行くと良いと思います。南会津は色んな魅力のある地なので、この地域の良さを感じてもらえれば住んでいる方もうれしいですし、移住して来てもらったら僕だけじゃなくて喜んでくれる人たちじーちゃんやばーちゃんたちが沢山いると思います。

 

 

★★動画もご覧ください★★

 

 

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田舎暮らしを始めた方のインタビュー他、南会津の情報が沢山詰まった動画チャンネルはこちら

移住者・2地域居住の方のインタビュー

 南会津の情報が盛りだくさんの動画  

 

 

 


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