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鴫山城跡(しぎやまじょうあと)


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鴫山城跡写真

南会津町観光

険しい自然の地形を利用した鴫山城。直江兼続の弟・大国但馬守実頼が城代をつとめた城跡である。城跡から町並みが一望できる風景は一見の価値がある。

住所
〒967-0004 福島県 南会津郡南会津町 田島字根小屋、字愛宕山地内
TEL
0241-62-3000
営業時間
8:30〜17:00
関連サイト
http://www.gunyakusho.ecnet.jp/7408.html

《 オプション 》
■入場料金 : 無料
■駐 車 場 : あり
■お問合せ :
南会津町観光物産協会
TEL:0241-62-3000

《 鴫山城の歴史 》

鴫山城は、南会津町田島地区にそびえる愛宕山の山頂部の急斜面や、山麓部の緩斜面、尾根、谷間等に土塁や門、堀等が構築された、自然の地形を利用し築かれた山城です。鴫山城の築城年代ははっきりとしていませんが、室町時代の長禄3年(1459年)に山内越中と白川氏が「南山しき山の城」を攻め落としたことが記録として残っているので、少し前の南北朝時代には存在していたとされています。

鴫山城一帯は長沼氏が支配していたため、鴫山城を築城したものも長沼氏と推定されます。天正17年(1589年)の摺足原の戦いで芦名氏が滅亡すると、鴫山城主長沼盛秀は伊達政宗に臣従し、伊達勢力ととも河原田盛次が守る久川城を攻撃しています。

長沼氏は天正18年(1590年)、豊臣秀吉による奥州位置によって伊達氏に従い鴫山城を去ります。長沼氏が去った鴫山城には、蒲生氏郷家臣小倉作左衛門が6千3百石で城代となり入城しました。慶長3年(1598年)には上杉景勝の会津移封に伴い、上杉家執政直江兼続の実弟・大国実頼が2万1千石で城代となりました。

その後、徳川三代将軍家光の時、寛永4年(1627年)に元和の一国一城令により廃城となりました。

《 鴫山城のパンフレット等 》

現在は、堀や土塁、石垣の一部が残されていて、保存状態が良いことから福島県の史跡に指定されています。入口から愛宕神社(2015年に落雷で焼失)が祀られている山頂までは30分ほどです。

鴫山城のパンフレット(画像クリック PDF A3両面 1.5MB)

鴫山城の想像図と案内パンフレット。

(画像クリック PDF 1.0MB)

《 鴫山城跡の様子 》

  

㊧入口の鳥居、㊥侍屋敷跡、㊨大手門跡

 

大手門から見て左側が水堀、右側が空堀。

  

㊧大手門奥には斜度がある広大な郭が広がっていますが、当時の建物の様子はわかっていません。

㊥土塁の上を歩けるようになっています。

㊨上千畳、城主の館があったとされています。

 

《 案内板 》

㊧城跡の案内板には、ルートや所要時間などが記載されています。

㊨福島県教育委員会の説明看板

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