南会津の観光スポット、イベント、ホテル・旅館などの情報をサポート!南会津を旅行する魅力をリアルタイムでお届けする観光案内サイト

文字サイズ
twitter facebook Youtube
  • TOPページ
  • 特集
  • 観光名所
  • グルメ
  • 温泉
  • 宿泊
  • 体験
  • 動画

スポット検索 ジャンルを指定

グルメ

温泉

体験

観光名所

宿泊

指定なし

スポット検索 町村を指定

全地域

下郷町

南会津町

只見町

檜枝岐村

スポット検索 キーワードを指定

 

 

 

 

 

 会津田島祇園祭は、福島県南会津町田島地区で毎年7月22日、23日、24日の3日間開催される田出宇賀神社と熊野神社の祭礼です。京都祇園、中の津島(愛知)と並ぶ日本三大祇園祭の一つに数えられ、お祭りの期間中は数多くの露店や4つの大屋台が立ち並び、大勢の観光客が訪れます。

 



 大屋台で上演される子供歌舞伎や、神様へのお供え物を運ぶ七行器(ななほかい)行列、町中を廻る神輿渡御(みこしとぎょ)、最終日に神社の神楽殿で奉納される太々御神楽(だいだいみかぐら)など見どころの多いお祭りとなっています。

 

  会津田島祇園祭の始まりは、鎌倉時代の文治年間(1185年~1189年)にこの地の領主になった長沼宗政が祇園信仰を重んじ、田出宇賀神社で祇園祭の儀 式を執り行ったことと言われており、江戸時代の慶長8年(1603年)に京都八坂神社の祇園祭に準じた祭式を定め現在の会津田島祇園祭に至ります。

 

 

 

■祗園信仰とは

 

  平安時代、都では疫病が流行していました。当時、疫病の原因は悪霊や祟りと言われ、疫病を抑えるには祟りを和らげなければならないと考えられました。そこ で厄病神の牛頭天王・スサノオノミコトを祀り、京都の神泉苑で御霊会(ごりょうえ)という儀式を行い、人々に疫病が広がるのを防ごうとしました。これが祇 園祭の始まりであり、疫病を抑えるために牛頭天王・スサノオノミコトを祀ることを祇園信仰といいます。

 

 

 ■田出宇賀神社と熊野神社

 

  会津田島祇園祭が行われる田出宇賀神社・熊野神社はそれぞれ別の神社ですが、明治時代の神社合祀により一つの社に二つの神社が存在する形になりました。そ のため鳥居は二つ、社務所も二つ、賽銭箱も二つ、宮司様もそれぞれの神社にお一人ずつ存在します。会津田島祇園祭は、明治12年(1879年)に田出宇賀 神社の祇園祭に熊野神社の例大祭を祇園祭のしきたりに準じて行う事で合同されました。

 

  

 

◎毎年7月7日から参道に御神燈 

 

  毎年、7月7日から国道121号から田出宇賀神社・熊野神社へのおよそ500メートルの参道には御神燈に灯りがともされます。これは、終戦後に田島町観光協会(現南会津町観光物産協会)が始めたもので、この夜から夜詣りに多くの町の人が訪れるようになります。

 

◎神社では御神酒(どぶろく)が振る舞われます

会津田島祇園祭の期間中、神社の社務所では御神酒のどぶろくが振る舞われます。祇園祭の為だけに作られた特別な御神酒なので、お酒が好きな方はぜひともお立ち寄りください。(飲み過ぎにはくれぐれもご注意くださいね)

 

 

 

 


 

 

 

 会津田島祇園祭の運営はお党屋と呼ばれる人々によって行われています。今日では神事を司るのは神社の宮司というのが一般的ですが、古来、祭礼などの神事はその土地の有力者が取り仕切っていました。会津田島祇園祭ではその古くからの風習が代々お党屋の人々の間で形を変えずに残っています。

 

 現在お党屋は地区ごとに9つの組があり、1つの組が毎年交代でその年の祇園祭の当番お党屋となり、1月から始まる神事を司ります。お党屋の中で神主となる家をお党屋本と呼び、祇園祭の中心となります。およそ半年続く神事全てが7月23日の七行器行列、神輿渡御に繋がっており、この流れを含めた会津田島祇園祭が昭和56年、「田島祇園祭のおとうや行事」として国の重要無形民俗文化財として指定を受けました。(写真は2012年1月撮影)

 

 

 

 


お党屋が行う行事

 

1月15日 お党屋お千度

お党屋組が年明け最初に行う行事。雪深い中、お党屋組は紋付羽織・股引の服装で、神酒と供物を田出宇賀神社・熊野神社に供える神事です。神に捧げた供物を口にする事で、神の力を体内に取り入れるとし、御党屋組の人々は8合の大盃で神酒を飲み干します。

 

6月30日 大祓式

大祓(おおはらえ)式は一般的に神社で今年半年分の穢れを祓う儀式。開催が迫った祇園祭が無事にとり行われるよう、祇園祭に関わる人々がお祓いを受けます。

 

7月7日 注連張り神事

お党屋組の家の玄関や神聖な場所、物に張る注連縄をお党屋組の人々で作り、宮司を招いて神事を行います。お党屋組は注連縄を自分の家に張ることにより、これから祇園祭終了まで心身を清める潔斎の期間に入ります。
この期間、お党屋組には以下の事が義務づけられます。
1.獣肉(四足)、鶏肉(二足)、卵類を食してはならない
2.葬儀に参列してはならない
3.女性は「月のもの」の御神符を身につけておく


  代参 この日よりお党屋組から夕方に二人一組でそれぞれ提灯を持ち、神社にお参りをする代参(だいさん)を行います。
7月9日 御神酒仕込み

神への供物の一つが御神酒。祇園祭の御神酒はどぶろく で、地元の蔵元・国権酒造の指示のもとお党屋組が仕込みを行います。国権酒造で蒸した米を、神社の本殿に運び、発酵させます。祇園祭では御神酒を一般客にも振る舞うため大量に作る必要があり、およそ240kgのお米を使い、樽2つ分の御神酒が完成します。

 

7月20日 道具出し

七行器行列で使う行器など、祇園祭の儀式に使う様々なものを神社倉庫から出し、一つ一つ数の確認や、破損状況のチェックを行います。

 

  御神橋架け

御神橋は、神輿で町内を廻る神様が休憩所となるお党屋本宅に入る際に渡る神聖な橋です。半円形の橋の両端を杉の葉で縁取り、橋の上に砂を敷き詰めます。橋の四方に注連縄で囲み、23日まで誰も渡ることはできません。

 

7月21日 御神酒開き

7月9日に仕込んだ御神酒を国権酒造に持ち帰り、石臼で引きやわらかく滑らかな酒に仕上げます。宮司を招き、神事を行った後、招待客を招いて、御神酒開きを行います。

  神棚つり神事

お党屋本に祇園祭時に神がお越しになる神棚を作ります。 神棚には大きな幣束を中央に据え、その左右に神札と神号の書かれた掛軸を掛ける。添え台に

は中央に黒塗行器に供えた神酒、左に鯛2尾、右に赤飯をそれぞれ 三宝に供え、床の間のおとし垣には紙縒で作った注連縄、床上には大きな木鉢に山盛りにした白米を供える。この神事により、神を迎える準備がすべて整ったこ とになります。


~ここからが会津田島祗園祭当日(7/22,23,24)のお党屋行事~

 

7月22日

(例祭)

例祭神事 お党屋組が全員裃(かみしも)姿で神社に参拝します。
  屋台世話人接待

神事以外のお党屋組の仕事として、大屋台を運営する屋台世話人たちの労を労い、接待を行います。接待は大屋台で子供歌舞伎が上演されている間(大屋台が固定されている間)に行われます。

(写真提供:茂垣貴子)

7月23日

(渡御祭)

榊木迎え 榊木迎えは神輿を置く台の四方に立て掛ける神聖な木(榊木)をお党屋宅まで運ぶ事で、来年当番となるお党屋組(請取り)が担当します。榊木は長さ4mほどの楢の若木で、これを丑三つ時に肩に背負い走りながら運びます。
  七度の使い 祇園祭で神をお党屋本宅に迎える前に、神社に使いを送るのが七度の使いです。使いには、お党屋組の中から両親がそろった二人の子供が選ばれ、裃の正装で神社に向かい、本殿と手水舎の間を6度参拝します。7度目の参拝は、このあとの七行器行列の先頭に立って行うため、それを合わせて七度の使いとなります。
  七行器行列 行列では、神に降臨してもらう為の供物として7つの行器に御神酒、赤飯、鯖を入れ神社までおよそ100名の行列で神社に向かいます。この行列に加わる数十人の花嫁姿の女性が列を成す光景は「日本一の花嫁行列」と呼ばれ、多くの見物客が訪れます。神社に到着後、行列に参列した全員が本殿に上がり、宮司が神に供物を捧げ、祝詞奏上し供物献上の儀式は終了となります。
  神輿前神事

神が乗った神輿(みこし)が御旅所(神の休憩所)であるお党屋本宅に到着する際に行う神事。神輿は台に乗せられ榊を四方に立てます。路上に茣蓙(ござ)を引き、その上で神を迎える神事を行います。神事の後、宮司は御神橋の注連縄を外して橋を渡り、御旅所に入ります。

(写真提供:茂垣貴子)

  御鉢前神事

お党屋本の神棚の前に、当番お党屋、その左右に去年のお党屋、来年のお党屋が夫婦揃って座って行う神事。宮司が神棚の山盛りで供えられていた白米を各お党屋に少量つまんで撒き、各お党屋は祝詞(のりと)を声を揃えて奏上します。奏上が終わると御神酒が配られ、神棚の赤飯を頂きます。

(写真提供:茂垣貴子)

7月24日

(太々)

帰座の神事 神社より宮司をお迎えし、お党屋本宅に降臨した神にお帰り頂く神事。神事の後、神棚は宮司の手によって一切を取り払います。
  諸道具引譲り 帰座の神事の後、来年の当番お党屋組に、神事に使用した祭礼道具の引き渡しを行います。これも祭りの大事な行事のひとつとして、道具の個数や破損個所の確認などが今年と来年のお党屋組の間でしっかり執り行われます。
  御幣奉鎮の神事 諸道具引譲りが終わると、神社にお返しする幣束や注連縄、掛け軸などをお党屋組全員で持参し、お党屋組の神事が全て終了します。

 

   

 

 ◎お党屋組を陰で支える女性たち 

 

お党屋組で表に出るのは男性陣のみですが、お党屋組の女性たちは、神事の度に行う直会(なおらい)という参加した人々全員で行う食事(直会自体も神事にあたる)の準備や片付け、その他の雑用を一手に引き受けます。七行器行列が行われる時の直会は参加者が100名以上集まるため、その準備に追われ、華やかな行列を見る機会もありません。お党屋に関わる人は皆、「本当に大変なのは女性陣」と口をそろえて言います。

◎昔は当番御党屋になるのは一生に一度の事だった

今は9組あるお党屋組ですが、かつては23組ありました。その当時は当番のお党屋が回ってくるのは23年に一度。神事を司るお党屋組は成人である必要があり、巡りあわせによっては、お党屋組の一員として参加できるのは一生に一度順番が回ってくるかどうかと言われていました。さらに誰でもお党屋組に参加できるわけではなく、お党屋組に選ばれること自体、大変名誉なことでした。現在は地元の高齢化などの問題も出てきたため、お党屋組の代表者が集まって伝統を壊さずに会津田島祇園祭を運営していく道を探っています。
 

*現在残るお党屋組9組:上町上側、西町下側、西町上側、中町下側、本町下側、東町、本町上側、中町上側、上中町

 

 

 

 


 

 

 会津田島祇園祭の開催3日間で、様々な催し物が執り行われます。ここでは、それぞれの行事について詳しく説明します。

 

 

 

 

■大屋台運行 7月22日、23日

お祭りで大屋台や山車が使われるのは、疫病や祟りを祓ってくれる神様に楽しんでもらう為に始まりました。会津田島祇園祭では本屋台、中屋台、上屋台、西屋台の4つの大屋台(出し物、山車の事)があり、22日と23日の2日間運行します。大屋台にはたくさんの子供たちを乗せ、運行は夜まで続きます。
日が落ちる頃には祭りの熱気で大屋台の運行もヒートアップ、隣り合う屋台があわやぶつかるという喧嘩屋台も見どころ。
(写真提供:茂垣貴子)
 

 

 

 ◎大屋台の掛け声

 

「オーンサーンヤレカケロ」と大屋台に乗る子供たちの掛け声が響き渡ります。
この掛け声の意味ですが幾つか説があり、どれが正式という事はないそうです。
そのうちの一つは、オーンサーンというのはオジサン、おっさんの事で、ヤレカケロは早く駆けろという意味。大屋台の押し手への応援と言われています。

 

◎大屋台の格納庫

 

4台の大屋台のうち、本屋台、上屋台、西屋台は普段は屋台格納庫に収められ、毎月第三日曜日には一般公開されています(4 月から10月まで)。ですが、中屋台は昔ながらに、祭り前日の早朝に組み立てられ、祭りの終わりと共に分解されます。わざわざ組み立てたり壊したり手間が かかりますが、「地区の人々が集まり、協力して屋台を組み立てるのも祭りの一部」と中町の人々は言います。

 

 

 

  

■子供歌舞伎 7月22日、23日

屋台は時間ごとに芸場とよばれる家の前で停まり、そこで子供歌舞伎が上映されます。
子供歌舞伎は江戸時代末期から上演されていましたが、一時「学制」の制定などで禁止になり、しばらくは地元の青年会による歌舞伎が上演されていましたが、屋台での子供歌舞伎の伝統を蘇らせようと平成6年に約120年ぶりに復活。歌舞伎で人気の演目2つと南会津で実際に起こった出来事をモデルにした演目2つの合計4種類の中から上演されるようになりました。各演目は夕方と夜に別の大屋台で上演され、2日間ですべての大屋台上で上演されます。

 

□上演される演目

絵本太功記十段目尼崎の段・・・本能寺の変で織田信長を討った明智光秀をモデルにしたお話。主君を討った武智光秀(明智光秀)は真柴久吉(豊臣秀吉)と争う。光秀の嫡男・十次郎も父を助けるため初陣を決意する。
・一谷嫩軍記須磨の浦の段・・・源平合戦のエピソードの一つ。源氏の武士・熊谷直実と平家の若武者・敦盛が戦場で遭遇する。その時、敦盛の許婚・玉織姫は愛する敦盛を探し須磨の浦に迷い出る。
・時津風日の出の松 鴫山城内の段・・・南会津オリジナル演目。戦国時代、伊達正宗の軍勢に責められた鴫山城。戦になれば滅亡は明らか。家老の隼人之助は自分の命と引き換えに和睦を嘆願する。
・南山義民の碑喜四郎子別れの段・・・南会津オリジナル演目。南山御蔵入騒動と呼ばれた百姓一揆がモデル。幕府への年貢減税の直訴を決意する喜四郎。家族にまで罪が及ぶのを避けようと母に勘当される。江戸に向かう喜四郎は、偶然、息子・喜四郎に出会ってしまう。  

 

 

 

◎子供歌舞伎の公開練習は、田島の初夏の風物詩

 

歌舞伎に出演する子供たちは日ごろから練習を重ね、祇園祭が近づく7月上旬、
本番の舞台である大屋台での公開練習を行います。大屋台格納庫ができたここ数年で行われるようになった新しい田島の初夏の風物詩になっています。

 

 

◎子供歌舞伎の撮影は西屋台がおススメ!

 

会津田島祇園祭は大屋台の運行と露店が同じ道路で行われているため、見物客が多くなると身動きが取れなくなってしまいます。しかし、西屋台がある辺りは露店が無い為、移動がスムーズで、カメラでの撮影に適しているといえます。
 

 

 

 

 


 

 

 

■七行器行列 7月23日

祇園信仰の神である牛頭天王・スサノオノミコトに七つの行器(ほかい)に入った供物を献上する儀式。行列に参加する男性は 裃姿、女性のうち未婚者は島田、既婚者は丸髷を結う。未婚女性はおよそ30名が参加し、色とりどりの花嫁衣裳に身を包むことから日本一の花嫁行列とも呼ば れます。

 

 

◎昔は嫁さがしの場でもあった花嫁行列

絢爛豪華な衣装に身を包む花嫁たち。七行器行列はかつて未婚男性が花嫁を探す場とも言われていました。現在は以前より花嫁の参加が増え、より豪華になったため、未婚男性よりも、アマチュアカメラマンに注目を集めるようになりました。

 

 

 

 

■神輿渡御(みこしとぎょ) 7月23日

七行器行列で供物を奉納したことにより、神様は神輿に乗り移り、町内の人々の病気や祟りを祓ってくれます。神輿は田出宇賀神社の神と熊野神社の神を乗せたものの2台があり、神輿は神様の休憩場所である御旅所に立ち寄りながら町中を廻ります。神輿の行列には露払い、30人ほどの稚児の行列、猿田彦、猿女君、御鉾、長持、挟箱、大拍子、立傘、沓取、御神輿と氏子たちが参列します。昔は馬も行列に参加していたそうです。

神輿の出発に先立って、御支度触れと呼ばれる人々が町内に神輿が来ることを触れてまわる人々がいます。大柄な体格に波に千鳥の裂け羽織、5色の襷がけ、内に女性の反物を着て女帯を前で結び頭は板冠を載せて端にしでを垂れ、紅白の太紐で顎に結わえ、右手に軍配、素足に草鞋履きという奇抜な出で立ち。神社前、御旅所ごとに大仰な身振りで歌舞伎の六方を踏みながら「御神輿の御立ち、お支度なされましょう」と大声をあげます。
 

 

 

 

 

 ◎保露花(ほろばな) が配られるのは祇園祭の時だけ

 

保露花は神社で祈祷をあげた有難い花で、神の花とも呼ばれています。南会津の人々は、保露花を頂いたら神棚や床の間に飾り大事にします。昔の人は、体調が悪いときに薬の代わりとして、この花を煎じて飲んでいたという話もあるそうです。保露花を手に入れられるのは1年に一度、祇園祭の神輿渡御の時だけ。その時は御神輿へのお賽銭も忘れずに用意しておいてくださいね。

 

 

 

 

 

 

■太々御神楽(だいだいおかぐら) 7月24日

太々御神楽は江戸時代に福島県郡山市の安積国造神社より伝承したと言われており、会津田島祇園祭では田出宇賀神社・熊野神社の神楽殿で24日の午後に奉納されます。舞の特徴は、台詞が一切ない終始無言のもので、楽人の演奏する笛や太鼓の音色と拍子で進行します。御神楽では現在、13段の舞があり、最後の「太平楽の舞」では菱餅が撒かれます。

 

 

□奉納される舞 13段

1.清祓(麻舞)・・・右手に鈴、左手に祓串をもって、宮司がお祓いの舞をする。
2.天地開闢・・・「古事記」にある「いざなぎ」「いざなみ」二神の国生みで男神と女神の面をつけた二神が矛を立てて廻る。
3.鎮悪神(剣舞)・・・剣によるお祓いの舞。赤色の大鼻の面をつけ、右手鈴、左手剣を持って舞う。
4.憶原身禊(幣舞)・・・4人の子供が右手鈴、左手幣を持って舞う。

5.(猿舞)・・・猿の面をつけ舞われるお祓いの舞。
6.営田耕作(田耕鍬舞・種蒔舞・刈取鎌舞)・・・高天原の農耕を意味する舞。田耕は白狐面が鍬を持ち、種蒔では翁面が三方から種をまき、稲刈りは再び白狐面が窯を持ち舞う。
7.岩戸開き(岩戸舞)・・・神楽殿の奥に作られた天岩戸を手力男命(タヂカラオノミコト)が開けようとする舞。
8.浦安の舞・・・4人の舞姫(巫女)によって舞われる女舞。前半は扇を持って舞い、後半は鈴をもって舞う。
9.地神出迎(鉾舞)・・・赤い天狗の面をつけた猿田彦が、天孫が降臨するところを迎えに行く様子を舞で演じる。
10.諏訪鹿島(戦舞)・・・高天原方と出雲国方の神が力比べをする神話を舞う。
11.返矢(弓舞)・・高木の神が四方に弓を射つお祓いの舞をする。

12.三穂三崎(取魚舞)・・・事代主命(恵比寿様)が大きな鯛を釣るまでの舞をする。
13.太平楽(散供)・・・太々御神楽の最後の舞で、舞の後に大散供といって菱餅を撒く。 

 

 

 

 


 

 

  会津田島祗園祭で最も注目される行事のひとつ「七行器行列(ななほかいぎょうれつ)」。日本一の花嫁行列を写真に納めようと、全国から数多くのカメラマンが詰めかけることでも有名です。この七行器行列に、おいでよ!南会津のスタッフが参加させていただきました。ここでは、会津田島祗園祭の行事を"内側"から見た様子をお伝えします。

 

 

■七行器行列のおさらい

 「七行器行列」は、南山八郷(南会津郡一帯)総鎮守である田出宇賀神社・熊野神社の神へ捧げ物をして、疫病や悪気退散・五穀豊穣を祈る神事。神の来臨を請うために、漆塗りの角樽や曲物などの七つの「行器(ほかい)」にお神酒・赤飯・塩鯖を乗せ、神前に運ぶ神聖な行列です。神酒を角樽3つ、赤飯を脚のついている独特の行器3つ、鯖7本を載せた魚台1つの合計7つで、近世以降は熊野神社の分である角樽、行器、魚台それぞれ1つが行列に加わっています。
 

 これを捧持するのは両親の揃っている事が条件で、角樽と魚台は袴・草履着用の青年男子、行器は盛装の婦人が持つこととされています(なるべく未婚者に持たせるようにするそうです)。未婚者は島田髷(まげ)、既婚者は丸髷姿と定められており、この島田髷で華やかな花嫁姿に身を包んだ女性は30名程。総勢100名にもなる行列のなかでひときわ目を引く艶やかさが評判となり、このことから七行器行列が「日本一の花嫁行列」と言われるようになりました。

 

 行器とは、戸外への食物運搬用の木製容器の事。行列の際にはなるべく自分の息がかからないよう高めに捧げ持つように気を配ります。昔は、この行器をはこぶ未婚女性の中からお嫁さんを選ぶ事もあったそうです。

 行列の順番は次の通り。 「七度の使い」「稽回(袴着用)」「神馬(口取付添)」「神酒(袴・草履着用)」「行器(女盛装草履着用、これが花嫁行列と呼ばれます)」「魚台(袴・草履着用)」総勢約100名

 

■七行器行列に参加するには?
祇園祭に参加する花嫁さんは、お党屋組の中で親族などから未婚女性を選びますが、定員に満たなかった際に、6月上旬頃から一般募集を行うことがあります。一般募集を行うかどうかはその年ごとにお党屋さんに確認が必要です。まずはその年のお党屋さんの連絡先を南会津町物産協会に問い合わせてみましょう。

 歴史ある伝統文化に触れる“花嫁体験”に参加しようと県外から参加を希望される方も多く、地元でも”少しでも祗園祭の歴史や文化に触れる機会を”と、地元以外の参加希望者も好意的に受け止めています。

 

 

 

 

 

 

■6月 「着物選びとカツラ合わせ」

 さて、ここからが七行器行列の参加レポートです。申込みをして行列への参加が決まったら、6月から花嫁衣装選びとヘアメイク・着付けの準備が始まります。


 ヘアメイク・着付けは、会津田島祗園祭が行われる南会津町内にあるヘアサロンを紹介していただき、予約しました。当日は、事前予約が早い方から、行列開始時刻に近い時間の着付け・メイクになります。私は申込が遅かった為に、当日は一番最初の深夜1:30~ヘアメイク・着付けに決まりました。


髪は島田髷に角隠し、そして振袖衣装。古式ゆかしい花嫁の装いです。

 日本髪のなかで最も一般的な女髷である「島田髷」は、主に未婚女性の髪形とされています。この髪型を見ると現在は結婚式の和装の花嫁を連想しますが、結婚式の「分金高島田」は明治以降に定着したそうで、もともとの「島田髷」は武家の若い女性や遊女の髪形でした。文金とは、八代将軍徳川吉宗の時代に貨幣改鋳があり、その時の小判を文金と呼んでいて、嫁ぐ娘のために母親が髪の中に小判を一枚忍ばせ、そのために高く結い上げられたことが文金と呼ばれる髪型の由来なのだそう。会津田島祗園祭における島田髷の女性は、"結婚する女性"ではなく"未婚女性の盛装(華やかな装い)"を表すようですね。


 カツラはセミオーダーの為、サイズを測り色(黒とナチュラルブラウンの2色)を選びます。ショートヘアの方でもかまわないが、当日までなるべく切らないように、とのこと。着物はレンタルが可能で、好みに合わせて選べます(手持ちの物を用意してもOK)。赤やピンク、夏らしいブルーやパステル調のカラーにツルなど古典的な絵柄から可愛らしい蝶など、どれも素敵で迷ってしまいます。カツラ・着付け・ヘアメイク代として一律56,000円、着物は、田島連合婦人会花嫁衣装部にてレンタル約7000円~。※これらの費用は一部助成制度がありますので、ご活用ください。私は8,000円のものを選びました。

 

 

■7月23日 AM1:30  着付け開始

 

 祗園祭1日目が終わった真夜中1時30分。南会津町内は提灯が飾られ、深夜の街にも祇園祭の雅な風情を感じました。サロンの中に入ると、もうすでにヘアメイクは始まっていて、日本3大祇園祭を裏方で支える美容師さん達の真剣な表情に私も背筋が伸びる思いです。まさに「舞台裏」の雰囲気。先にお支度を始めていたのは、地元・南会津町の老舗旅館、和泉屋旅館の娘さんでした。「旅館の仕事の合間を見て支度して、寝る暇もなく年に一回のとっても忙しい日だけれど…その忙しいのも楽しみです。」と笑顔で話されていました。

 

  まずはメイク。和装のメイクは洋装とは異なり独特の手法があります。このサロンでは現代の要素を取り入れたメイクをしてくれました。白過ぎない肌馴染みの良い色のドーランの上に、さりげないラメ入りのパウダーをはたきます。(これが肌の負担も少なく長丁場でも崩れず保ってくれ、さすがプロの仕事と感動)。つけまつげに赤い口紅を引きカツラを付けると、もうすっかり女優顔です。

 そして、怒りを象徴する角を隠すことで、従順でしとやかな妻になるようにという意味合いの「角隠し」を被ります。角隠しを被るとうつむき加減になるせいか、どこか奥ゆかしい表情に見えます。


 着付けは2人がかりで取りかかり、徐々に身が(物理的に)引き締められていき、陰陽の法則を思い知ります。煌びやかな外見の裏に隠された試練ですが、鏡に映った姿はプロの方々が作ったもはや“作品”。私はこの作品を守らなければ!


 お知り合いの方から貸して頂いたというパステルブルーに白の上品な柄の振袖が涼しげで良くお似合いだったべっぴんさんにお話をうかがうことができました。(写真)東京から地元に帰ってきて、周りの方の勧めもあって一度はやってみようと参加されたそうです。(花嫁姿の写真のお二方は2013年の七行器行列に参加された方々です。)

 

 


 

 

■AM3:00 着付け終了

 あれよあれよという間に着付けが終わり、控室にはお茶やお菓子が準備されていました。おやつを頂きながら…あと約3時間の待機です。
  と一息ついていたら、「カシャ」「カシャ」とシャッター音が!あちらからもこちらからも。祗園祭ではこんな舞台裏の様子も主にカメラマンの方々に一部公開 されています。大きな口を開けて食べられませんね。でも、意外と素の色んな表情の方が良いみたいで、廊下を歩いていたり、花嫁さん同士で楽しく会話してい たり、なぜか携帯電話で話している時が一番撮られているように思いました。


■AM5:00 今日は雨模様

 時折、強く打ちつけるように降る雨。明け方の空を見て雨が上がる事を祈ります。番傘をさして記念撮影。早朝の空気がとても清々しく感じました。

 

■AM6:00 お祓いと出発準備
  お党屋本に花嫁さん達が続々と集まり、御祓いを受けて出発の準備です。行器は交代で持つので順番や交代場所の確認を行います。外には更なる数のカメラマン方が待ち構えています。地元からの花嫁さん同士はお友達やお知り合いのようで、花嫁姿で楽しそうに会話する姿が見られました。

 

■【七度の使い】
  「神輿」の出発は、祭の中心となっているお党屋本からです。常時、神社にいる神様をお党屋本へお迎えするという行事が大きな意味をもつようです。その使いとして、両親の揃った男の子2名が選ばれ、裃を着て草鞋を履いて神社の宮司宅へ参ります。ここで宮司に神事の使いに赴いた旨を言上し、本殿に参拝。神社へ六度参拝のあと七度の使いとしてお党屋本へ戻り、行列の先頭を歩きます。このことから、この男の子達を「七度の使い」と呼びます。
  行列やお党屋本への参加に、夫婦や二親が揃っている事が原則です。夫婦仲良くというモラルや行儀作法などを次世代へ引き継いでいくための行事(おこなうこと)でもあるそうです。

 

■8:50 雨により一時間延期しての出発
  ようやく雨が小降りになり、傘を差しての出発です。お党屋さんの出口から出ると、大雨だったにもかかわらずカメラと共に待ちかまえていた人達の山に驚きま した!あちらこちらから「お姉さ~ん!」とお呼びがかかります。にこやかに応えながら行器を運びます。私は、お赤飯を運ぶ役目でした。途中で交代しながら運んでいきます。途中からは雨も止み、傘を閉じる事も出来ました!

 行列はお党屋本の国権酒造から田出宇賀神社まで約1km。真夜中からの着付けで寝不足、慣れない着物姿、雨の中の歩行、そして行列を包む独特の熱気。疲れているような、脳は興奮状態のような、不思議な感覚です。行程も半ばを過ぎて田出宇賀神社の大きな赤い鳥居が見えくると、見ている人の数も増えてきます。そして声援も聞こえてきます。雨の中大変だったね、もう少しだよ!頑張って!

 

 鳥居をくぐると、歓迎するように人の数は増えて更なる賑わいを見せてきます。草履を脱いで拝殿に入り、大切に運んできた行器を神前にお供えして、お神酒とお護符のお赤飯を頂きました。宮司さんのお話では、大雨から晴れ間に変わった天気も必然だったのかもしれないとの事。 万事は、偶然ではなく、意味があるようです。雨女の私のせいか、はたまた、神事に仕える間は食べてはいけないお肉を誰かが食べてしまったせいだとか?色々と憶測があるようでしたが、無事に神前にお供え出来てひと安心。

 


 

■11:00 神事を終えて再びお党屋本へ

 全員での記念撮影を終え、行列の皆さんはここで解散。お党屋本へ戻るべく花嫁姿で歩いていると、「一緒に写真撮ってください」とお声がかかります。小さな女の子を連れたおばあちゃん、「この子も大きくなったらお嫁さんになりたいんだって」とのこと。きっと可愛いお嫁さんになりますよ♪ケバブを露店で売っていた外国人のお兄さん、遠くから”写真撮ってくださいアピール”が。(笑) 近づいていくと「やさしいね。どうもありがとう。」と笑顔。日本ならではの文化を写真におさめる外国人の方も多かったです。

■【蕗祭り】

  田島の祇園祭は別名「蕗祭り」とも呼ばれて、お党屋本の家で出される料理に多くのフキを使います。旬の時期でもありますが、「蕗(ふき)」と「富貴(ふうき)」に懸けて縁起を担ぐ意味もあります。確かに、祇園祭はどことなく富貴で雅な風情を感じられますよね。独特の香りの成分は、せき止め、たん切り、消化などに効果があるということが古くから知られ、漢方では、薬効食材として古くから活用されてきました。野草を中心に川のものや干物など、干ばつなどで作物が採れなかった年でも負担のかからない食材でつくり、昔から伝わる礼式を守り決まった献立を提供します。
  お党屋本でいただいたお食事は次の通り。この日のために数日前から数十キロも採取していたというフキ。ニシンの山椒漬け・お赤飯・お吸い物・どぶろく。

 

■嫁入り前の「嫁入り体験」
  現代の生活では気軽さや個人の自由が尊ばれて、昔から伝わる形式や文化が簡素化・略式化されていき、本来の目的や意味も分からなくなってしまう事も多い日常の中、礼節を守り、地域が一体となって後世に伝えていく祇園祭。その心が田島の人達にしっかりと息づいていることを肌で感じることができました。古くから伝わり大切に守り続けられてきた伝統文化に触れ、昔の人々の知恵に学び身に付けた心は、まさに「良妻賢母」のお嫁さんの鑑のように思います。
  それにしても…行き遅れ感が否めない私。何時間経ってもみずみずしく透明感のあるお肌の花嫁さん達の中、にじみ出てくる貫禄が隠しきれなかったので、正面からの写真は掲載できません。“若さばかりはお金で買えないね“という私のため息を不憫に思ったのか、“いやいや、積み重ねた経験と時間だって何物にも代えられないよ”とスタッフに慰め(?)のフォローをしてもらったので、この経験を生かして、本物の花嫁になった時には…「良妻賢母」を目指したいと思います。

 

 


 

 

  会津田島祇園祭は、老いも若きも男も女も、田島に住む人それぞれが様々な立場で関わりを持ち、祭りに力を注ぎます。祇園祭とどう関わり、祇園祭とはどういったものなのか聞いてみました。

 

 

 

■2013年会津田島祗園祭のお党屋本 細井さん

 

 会津田島祗園祭が行われる南会津町田島の蔵元、「国権酒造」。ふだんはここで専務としてうまい酒づくりに尽力している細井さん。今年当番となったお党屋・上町地区のお党屋本として、祇園祭の神事を司る存在でした。

 祇園祭が終わって率直な感想をお聞きすると「(祇園祭が終わって)ほっとしています。雨さえ降らなきゃねぇ」と苦笑い。今年は、ここ数十年は祗園祭当日に降ることが無かった雨に3日間降られ続け、対応に追われたお役目でした。祇園祭については「こんな伝統の残っているお祭りは県内でもなかなか無い。祇園祭か相馬野馬追ぐらいでしょう。これからも残していかなければならない」とおっしゃっていました。

 

 

■本町 大屋台組み立て役 星さん

 

 会津田島祗園祭の「大屋台運行」で使用される屋台は4つあり、そのうち3つは屋台がまるごと入る専用の大きな倉庫がしつらえられ、1年間そこに保管されています。残りの1つ、星さんが所属する本町の屋台は、祇園祭前日に組み立てを行い、終わればまた解体するという人手も手間もかかる作業を毎年行わなければなりません。もちろん星さんも組み立て作業に加わります。祭り当日の屋台の運行は若い者に任せますが、組み立てと祭りが終わってからの分解には今も参加しています。

 「田島は7月に入ると祭りの雰囲気になる。私は屋台の運行自体には加わらないんですが、店から屋台の様子や掛け声が聞こえてきて、今年も祗園祭ならではの高揚感と興奮を体感することができました。(祗園祭が終わってしまって)また来年までさみしくなりますね。」 ふだんは自宅で「こまつや珈琲店」を営む星さん、また来年の祗園祭まで、ここでこだわりのコーヒーを静かに提供し続けます。

 

 

■太々御神楽 舞方 有賀さん

 

 24年前に埼玉から南会津に移住し、民宿を始めた有賀さん。中華料理を出す店として地元の人々にも親しまれ、常連のお客さんから祇園祭の太々御神楽の舞方に誘われたそうです。例年は24日に行われる太々御神楽ですが、今年はこれだけでなく、22日の例祭でも「猿舞」を奉納。小学二年生の娘さんも太々御神楽の「浦安の舞」を初めて舞うなど、思い出深い祇園祭になったようです。

 「祇園祭は田島の宝物。町の人は祭りが生活のリズムと直接的に結びついている。(田島には)なくてはならないものです」と話してくださいました。

 

 

 

■お党屋組の裏方を務めた旅館女将と七行器行列に参加した娘さん

 

 国の登録有形文化財に指定される和泉屋旅館。祇園祭当日は、宿泊客の他に子供歌舞伎の休憩場所にもなるため、大勢の人でにぎわうそうです。

 今年は当番お党屋組となっており、女将さんは裏方としてお党屋組を支え、娘さんは七行器行列に丸髷で参列しました。行列に参加した娘さんは「七行器行列への参列はこれで3回目。田島っ子が祇園祭に関わることは自然な事です。今年は主人と私、それに息子の三人で七行器行列に参列できたのが本当に嬉しかった。」と笑顔で語ってくれました。母である女将さんは、連日の準備の疲れも見せずにいつものニコニコ笑顔と軽い足取りで奔走する姿が印象的。

 和泉屋旅館の軒先には、旅館の看板マスコット?のカエルのぬいぐるみがいて、季節ごとに衣装や小道具を変えてお客様や町行く人の目を楽しませています。祇園祭の日は裃(かみしも)と晴れ着姿の祇園祭バージョン。この裃は息子さんが子供のころに実際に七行器行列に参列したときに着たものだそうです。

 

 

 

 

 


会津田島祗園祭の宿泊・アクセス情報

 

 祇園祭で一番注目を集める七行器行列は朝7:30からという事もあり、遠方からの観光客は前日からの宿泊がおススメです。周辺の宿泊施設は一年前から予約の問い合わせがあります。じっくり祇園祭を楽しみたいなら、早めにお宿の問い合わせ・予約を忘れずに。

 

■会津田島祗園祭 周辺宿泊施設情報

和泉屋旅館

田舎宿 あり賀

田沢屋旅館

丸山館

グリーンホテル ミナト

ホテルニューセンチュリー63

会津高原リゾートイン台鞍

会津高原温泉 夢の湯

〇湯野上温泉  〇たかつえ温泉

〇その他、南会津地域の宿泊情報についてはこちらをご覧ください。

 

 

■会津田島祗園祭 アクセス情報はこちら。(公共交通機関・マイカーいずれも「南会津町へ」の項目をご覧ください。)

 


より大きな地図で 会津田島祗園祭 を表示


このページのトップへ