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河井継之助記念館 (かわいつぐのすけ きねんかん)

越後長岡藩軍事総督 河井継之助の終焉地。 新政府軍と長岡藩との戦い(戊辰北越戦争)の際、銃弾を受け負傷し、この地で亡くなりました。 館内には継之助に関する貴重な資料展示の他、継之助の「終焉の間(部屋)」が当時の面影を残し保存されています。

住所

〒968-0411
福島県 南会津郡只見町 塩沢字上の台850-5

TEL

0241-82-2870

営業時間

【開館時間】10:00~16:00  【開館期間】4月下旬~11月中旬まで(冬期間は休館)

ホームページ

http://tadamikousya.sakura.ne.jp/kawai/info_access/

業種

美術館・博物館

オプション

駐車場 

《 オプション 》
■開館期間 4月下旬~11月中旬
■開館時間

10:00~16:00

※木曜休館

■入 館 料

大人 300円

小中学生 150円

※団体20名以上50円引き

■駐 車 場 国道252号沿い
■お問合せ

河井継之助記念館

TEL:0241-82-2870

 

 

《 河井継之助(かわいつぐのすけ) 》

 

1827年、河井代右衛門の長男として生まれた長岡藩士です。7万4千石の長岡藩(現在の新潟県長岡市)では中級の藩士です。

 

幼少の頃は気性が激しく腕白で、負けず嫌いな性格でした。その後、藩校の崇徳館で儒学を学び始め、その際、都講の高野松陰の影響で陽明学に傾倒していったそうです。

 

慶応元年(1865年)、郡奉行に登用されると次々と改革を実行していきます。町奉行、奉行、家老に進み、藩政改革は大いに実を結んでいきました。しかし、世は江戸末期、明治維新が起こり、討幕の空気が漂い始めた頃、継之助は武装中立の姿勢を貫こうとします。慶応4年(1868年)5月、小千谷談判は決裂して、長岡藩は新政府軍と戦うことになります。

 

一度は落城した長岡城を取り返す快挙を果たしますが、再び劣勢に立たせられ、会津へと敗走します。新潟県と福島県の県境、険しい山道「八十里越え」を越し只見に辿り着きます。会津若松を目指しはしましたが、受けた傷は深く、只見町塩沢地区の医師矢澤宗益宅にて死去しました。享年42歳でした。

 

日本の近代化を図りつつも時代に飲みこまれた武士であったことから、ラストサムライとも呼ばれています。その人生は、作家・司馬遼太郎の「峠」などによって広く知られるようになりました。

 

 

《 河井継之助記念館 》

 

河井継之助が没した只見町塩沢地区に、継之助に関する様々な資料、戊辰戦争に関する資料などが展示されている記念館があります。資料の他にも、終焉の間(部屋)が当時の面影のまま保存されていたり、司馬遼太郎の「峠」の世界コーナーなどがあり、見どころ豊富な記念館です。

 

 

 

 

《 河井継之助の墓 》

 

河井継之助記念館から300mほど、医王寺の境内に河井継之助の墓があります。

火葬された遺骨は現会津若松市内に埋葬されましたが、戊辰戦争終結後の明治2年(1869年)に故郷長岡に運ばれ、栄涼寺に葬られました。ここ医王寺の墓は火葬の際に残された遺骨を村民が拾い集めて建てたもので、新政府軍の目を欺くため、文字は刻まず祠の様式にしました。

 

 

《 動画 只見町の見どころ 》

 只見町の見どころを紹介した動画にも登場します。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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